岐北軽便鉄道 発祥地
ぎほくけいべんてつどうはっしょうち
令和5年(2023) に美濃北方駅跡地に碑が設置された。その後、碑の両脇にはステンレスの説明的副碑や駅名標も追加設置されている。
名鉄揖斐線は平成17年(2005) に廃止となり、すっかり設備がひっぺがされて細長い空き地になった。明治45年(1912) 岐北軽便鉄道に対し鉄道免許状下付され、大正3年(1914) 3月29日
揖斐線美濃北方駅跡。平成17年廃止、もう鉄道設備はすべて消え周辺は再開発中。新しい住宅も目立つ区画。今年5月、住民の方々による駅跡・軽便鉄道発祥地を記した新しい石碑が設置、その新聞報道も。ここから西、樽見鉄道との交差部築堤は東側が消滅、西側に一部痕跡が。廃線跡も徐々に新しい景色に。 pic.twitter.com/EAODnDVpE9
— A (@A_saitama) August 13, 2023
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写真
碑文
旧揖斐線美濃北方駅跡地
岐北軽便鉄道発祥地
岐北軽便鉄道は、1914(大正3)年3月29日 忠節~北方間6.6km開業。本社は、北方に置かれる。1921(大正10)年 美濃電軌鉄道に吸収合併。その後、黒野・揖斐・谷汲へ延伸し、県都岐阜と西美濃をつなぐ鉄道の大動脈となる。1930(昭和5)年 名古屋鉄道と合併 第二次世界大戦後は、生活の足として通勤・通学に無くてはならない乗り物として、北方町に多くの恩恵、繁栄をもたらした。しかし、1970年頃からのモータリゼーションの影響を受け、乗客は激減。
揖斐線・岐阜市内線存続運動の広がりを見たが、2005(平成17)年3月31日惜しまれながら廃線。91年間の長い歴史の幕を閉じた。北方町文化財保護協会