篠山 中年学舎 開学の地
ささやまちゅうねんがくしゃかいがくのち
春日神社(篠山市黒岡1015)境内、社務所入口近くに、石標と案内が設置されている。
写真
碑文
鳳鳴義塾・兵庫県立篠山凰鳴高等学校の前身
篠山中年学舎開学の地
兵庫県立篠山凰鳴高等学校の前身
私立篠山中年学舎開学の地
代々篠山藩主を勤めた青山家の二十一代当主青山
忠誠 公が、「郷里の子弟を養育して国家有用の人物」の輩出を掲げられ、その意を受けた安藤直紀 (後の初代篠山町長)ら在郷有志により、明治九年(一八七六)、ここ春日神社社務所の小桃源 に「私立篠山中年学舎」が設立され、漢文、数学の授業が開始された。これをもって、青山忠誠公を校祖とし、兵庫県立篠山凰鳴高等学校の創立としている。これは明和三年(一七六六)に青山忠高 公により創設された藩校「振徳堂」の廃藩置県による廃校から五年後のことである。また、篠山中年学舎創立の翌年、この教育事業に賛同した福沢諭吉翁は、英語、物理化学の二教師を篠山に派遣した。なお、「小桃源」の扁額は、今も当神社社務所玄関に掲げられている。
設立後、明治十一年(一八七八)「公立篠山中学校」に、明治十七年(一八八四)「私立凰鳴義塾」に改称し、明治二十一年(一八八八)篠山城下(北新町 現篠山市役所)に校舎移転する。
その後、兵庫県立篠山高等女学校と統合など幾多の変遷を経て、この地より北東の大熊の現在地に移し、兵庫県立篠山凰鳴高等学校として、多くの有為な人材を輩出している。
平成八年(一九九六)本当創立一二〇周年を記念し、同窓会が建立した当記念碑を、創立百三十周年記念として、ここに移転する。平成十八年(二〇〇六)十一月
兵庫県立篠山凰鳴高等学校
創立百三十周年記念寺号実行委員会