四国 鉄道 発祥之地 (多度津駅)

しこくてつどうはっしょうのち

予讃線と土讃線の分岐駅である多度津駅前ロータリー入口に, 蒸気機関車の動輪モニュメントと, 「四国鉄道発祥之地」碑が建っている。

四国の鉄道は, 1888(明治21)年に 伊予鉄道が 松山~三津間の営業を開始したのが最初であるが, これは 狭軌の軽便鉄道であった。その半年後の 1889(明治22)年 (=東海道線が 新橋~神戸間で全通した年) に, 讃岐鉄道 (後に 国鉄に吸収) が 丸亀~多度津~琴平間 15.5km を開通させた。

旧国鉄は, 1969(昭和44)年に 旧・多度津駅跡 (この地より西へ 1km) に「四国鉄道発祥の地」碑を建てたが,開業100周年に当る 1989(平成元)年に ここ多度津駅前に移転した。

写真

  • 四国鉄道発祥之地 多度津駅前
  • 四国鉄道発祥之地 多度津駅前
  • 四国鉄道発祥之地 多度津駅前
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碑文

四国鉄道発祥の地

 明治22年5月23日讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に丸亀~金刀比羅間(15.5キロメートル)で営業を始めたのが当社の鉄道の始まりです。

 そのころの多度津駅は、この地点より西へ約1キロメートル(仲多度郡多度津町大通り、JR多度津工場の西側)の所にありました。

 その後、大正2年12月には、多度津駅を予讃線と土讃線の分岐駅として現在の位置に 新築移転しました。

 当時の多度津は、讃岐随一の交通文化の中心地として栄え、大正2年には、文豪志賀直哉の 小説「暗夜行路」の主人公謙作も、尾道から船で多度津に上陸、ここから汽車に乗って 金毘羅参りをしています。

 明治22年の開通式の祝辞で、財田村出身の県会議員、大久保諶之丞が 「塩飽諸島ヲ橋台トシテ架橋連絡セシメバ,常ニ風波ノ憂イナク,南来北行東奔西走瞬時ヲ費ヤサズ, ソレ国利民福コレヨリ大ナルハナシ。」と挨拶し、瀬戸大橋架橋を提唱しました。 以来四国島民の夢であった瀬戸大橋は、約1世紀を経た昭和63年4月10日に開通しました。

 ここに展示してある車輪は、昭和10年から42年ごろまで、四国の山野をかけめぐった、おなじみの8620形蒸気機関車の動輪です。鉄道開業80周年に際して、発祥の地(旧多度津駅跡)に 建立していたものを、100周年を記念してこの地に移転し、永久保存をはかります。

平成元年5月25日

四国旅客鉄道株式会社

地図

地図

仲多度郡多度津町 多度津駅 付近 [ストリートビュー]