新幹線 発祥之地

しんかんはっしょうのち

東海道線 鴨宮駅から西に約600m。東海道在来線の下り列車が鴨宮駅を出ると間もなく,東海道新幹線が並行して走るようになる。 新幹線と在来線の間に コンクリートの低い壁のようなものが造られていて, ここに「新幹線発祥之地」のパネルが嵌められているのが見える。

この場所には外部の人間は入ることができないため,電車の車窓からカメラで狙って撮ったのだが なかなか成功せず。高速で走る電車から撮ったためかなりブレているが,ギリギリまで拡大してみると かろうじて文字が読める。

東海道新幹線は昭和39年(1964) に開業したが,開業前に ここ鴨宮から 北東方向に 30kmほどのテスト線を敷設して,2年間にわたって試運転をくり返した。最後には 試乗者を公募して 乗客を乗せた試運転を行った。その場所が 現在は新幹線保守基地となっていて,ここが新幹線発祥の地とされている。

なお,鴨宮駅のプラットホームに立つ“名所案内”という標識には「新幹線発祥の地」と書かれていて, この駅付近で新幹線発祥の地があることを伝えている。また、この碑は普段は人が立ち入ることができないため、鴨宮駅南口ロータリーの隅に地元有志が建てた碑がある。


今までほとんど誰も目にしたことが無かった碑だが、平成26年(2014) に鴨宮基地見学ツアーが開催されたり、報道等にちらり公開された。


もとはもっと見られる場所にあり、日本列島を象った石碑であり、当碑の文字のレリーフ部分は別のところの壁からはがして持ってこられたものらしい。

というものの、新幹線側から「発祥之地」プレートの反対側を撮ってみたら、日本列島的なものがまだ存在しているようにも見える。平成26年(2014) の報道公開の時に、壁の向こう側を気にする記者はいなかったようだが、令和6年(2024) にもなって草ボウボウではあるがその面影の片鱗が見えるし、不自然に金網柵が新幹線側に張り出している様子もわかる。草刈り直後くらいに小田原駅に停車直前となる下り新幹線こだま号で訪問してみたい。

新幹線ハンドブック(日本国有鉄道新幹線総局 編、昭和53年(1978) 再翻刻版)618㌻ には日本列島を象った記念碑の画像が紹介されている。恐らく画像左側が東海道新幹線、右側が東海道本線(貨物線)と思われる。

JR東海は入れてくれる気配は無いので、残るは空撮か。

写真

  • 新幹線発祥之地 (2024)
  • 新幹線発祥之地 (2024)
  • 新幹線発祥之地 (2024)
  • 新幹線発祥之地 背面(2024)
  • 新幹線ハンドブック より
  • 新幹線発祥の地
  • 鴨宮駅

碑文

新幹線発祥之地

東京第二工事局長 井上 ●

新幹線鉄道は、わが国のすべての技術と総力を結集して、昭和39年10月1日に開業した。 これに先立ち鴨宮・綾瀬間32kmをモデル線と命名、その建設を推進し、昭和37年4月モデル線管理区の設立とともに一連の総合試験を開始した。
当初は、2編成の試作電車を使用して多岐にわたる記録を集積し、200km/h運転の実地確認に成功した。また、この間高速運転、保守関係者育成の中心地としてその使命を果した。 昭和38年3月に樹立した256km/hの速度記録は、その総合的成果の一つである。 この業績が、今日に至る新幹線運営の礎石であることに想いを至し、 かつてのモデル線鴨宮基地であつたこの地を新幹線発祥の地として、記念碑を建立する

昭和49年8月

日本国有鉄道 新幹線総局長
常務理事  原田種達

地図

地図

小田原市鴨宮 付近