消防 救急 発祥之地
しょうぼうきゅうきゅうはっしょうのち
横浜の中心日本大通に「横浜都市発展記念館」がある。この施設の駐車場に隣接して「旧居留地消防隊地下貯水槽」の遺構が公開されていて、これと一緒に「消防救急発祥之地」の碑が建てられている。碑の下部に貼り付けられた銅板に当時の救急車の絵が添えられているのが面白い。
この場所は、明治初年から旧外国人居留地の消防隊が置かれ、防火貯水槽として建造されたものがほぼそのまま遺構として残され、平成15年(2003年) 4月に「旧居留地消防隊地下貯水槽」として公開された。またこの地はその後も消防署が置かれて、日本初の消防車や救急車が配置されるなど「日本の消防近代化ゆかりの地」とされており、「消防救急発祥之地」の碑もそれを記念するものである。
なおこの「消防救急発祥之地」の碑は、しばらく中消防署山下町出張所に設置されていたが、「旧居留地消防隊地下貯水槽」の遺構が整備・公開されるのを機にここに戻された。
「横浜都市発展記念館」は、昭和4年(1929) に横浜中央電話局として建てられた建物で、戦後は横浜市外電話局として長く利用されていたが、NTTの移転を機会に横浜市の施設として保存されることになった。平成14年(2002) に「旧横浜市外電話局」として“横浜市認定歴史的建造物”となり,平成15年(2003) に横浜都市発展記念館および横浜ユーラシア文化館として公開された。
この建物に隣接して「横浜情報文化センター(日本新聞博物館)」がある。
- 横浜ユーラシア文化館
http://www.eurasia.city.yokohama.jp/
写真
碑文
消防救急発祥之地
横浜市長 細郷道一 書
昭和8年(1933)2月 日本で初めて この地(当時の山下町消防署)に 救急車が配置運用開始されました
昭和58年9月6日