水田 発祥之地(当別)

すいでんはっしょうのち

 
撮影:
2020年1月(写真 まさ・なち さん)

学園都市線 石狩当別駅北方の広場の駐車場脇に石碑が建つ。

明治5年(1872)に、当地、当別村田の沢(当時)に水田を拓いたのが始めという。今では稲作体験等も行われているようだ。札幌から30kmほど北東であり、当時は稲作北限地だった。

北海道内の発祥の地碑として数多く水田発祥の地が数えられるが、《北海道「水田発祥の地」記念碑》という書籍が発行されるほどである。当書 7項目に紹介される当別町の水田発祥碑は朽ちてしまいこの石碑に置き換えられたものとみられる。

写真

  • 水田発祥之地

碑文

水田発祥之地

当別町長 泉亭俊彦書

当別町の稲作

当別町の稲作は、開拓の始めに移住した伊達邦直が、肥培管理を瀬戸勘三郎に明治、明治五年、当別村田の沢に二反歩の水田を拓いたのが始まりとされており、当時としては北海道の稲作の北限でありました。
その後、明治二十年代後半、大規模な増田計画を樹立することまでとなりました。

平成十六年十一月吉日 建立

地図

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当別町若葉 付近 [ストリートビュー]