わが国の 玉葱栽培 この地にはじまる

たまねぎさいばいこのちのはじまる

 
撮影:
2011年5月
2024年7月(写真 まさ・なち さん)

札幌市営地下鉄 東豊線 環状通東駅から 南東に200m。札幌村郷土記念館の正面入口から入ってすぐ左側に,背の高い台座の上に据えられた 黒御影石の記念碑が建っている。台座には 茶色の御影石に刻まれた碑文が貼り込まれている。

日本におけるタマネギの栽培は,明治11年(1878) に札幌農学校の教官ブルックス(クラークの後任)によって試験的に栽培されたことに始まる。しかし 当時はタマネギの食べ方が知られていなかったため 販売は不調であったが,やがて全国に普及するにつれて,生産量も増加し,札幌村(現・札幌市東区)付近での生産高も増加した。

この時の種子はアメリカから輸入された“イエロー・グローブ・ダンバース”という品種で,これが“札幌黄さっぽろき”という日本名となり,明治18年(1885) ごろから 大坂泉州で“イエロー・ダンバース”が“泉州黄”に,またフランス系の“ブラン・アチーフ・ド・パリ”が“愛知白”となり,各地域に定着化した。

現在の日本でのタマネギ生産高は100万トン強で,そのうち北海道産が50%を超えているが,“札幌黄”は現在ではほとんど作付けされなくなっている。

札幌村郷土記念館のあるこの地は,かつて大友亀太郎の役宅があった場所。大友は幕末の慶応2年(1866) に石狩地方の開拓を命じられ,この地に役宅を建て村を開いた。彼は森を切り開き,道路を作り,農業用水のための大友堀(現在の創成川)を開削するなどした。郷土記念館の前庭には大友の銅像が建っている。

明治35年(1902) に北海道に町村制が施行されると,周辺を合わせて札幌村となり この地に村役場が置かれたが,昭和30年(1955) に札幌村は札幌市に吸収合併された。
札幌村郷土記念館は,昭和52年(1977) に開設された。

写真

  • 玉葱栽培発祥の地
  • 玉葱栽培発祥の地 碑文
  • わが国の 玉葱栽培 この地に はじまる
  • 玉葱栽培発祥の地碑
  • 大友亀太郎役宅跡碑
  • 大友亀太郎像
  • 大友亀太郎解説
  • 札幌村大友亀太郎関係歴史資料及び史跡
  • 札幌村郷土記念館
  • わが国の玉葱栽培この地にはじまる(2024)
  • わが国の玉葱栽培この地にはじまる 碑文(2024)

碑文

わが国の
玉葱栽培
この地に
はじまる

高木圭介書

 日本の玉葱は明治四年(1871) 開拓使が米国から種子を輸入し札幌官園で試作したあと,多くの苦心が重ねられ,元村で栽培が定着した。
 明治十三年中村磯吉が一町歩余を栽培して良品を収穫し,みずから東京に送って販売を試みたが失敗した。しかし,同十六年に武井惣蔵が道外への販売に成功したことによって,本格的に玉葱が生産されるようになった。
 明治三十年代には,札幌村にはじまった玉葱が次第に近村に広がり,また耕作者による選抜改良も年々すすみ,優良な品種“札幌黄”が育成され,篠路村,白石村を合わせた一大産地となり,札幌特産として全国に出荷されるばかりでなく,広く海外にも輸出されて,その名声が一段と高まった。その後,時によって盛衰もあったが,この地区は現在まで一世紀余,玉葱一筋のの農業が続いている。
 これまで多くの苦難に耐えて日本最古の玉葱産地を築き,栽培に努力した先人に感謝をささげるとともに,札幌黄玉葱の名を後世に残すため,栽培発祥にゆかりの深いこの地をえらび記念碑を建てる。

昭和五十三年十一月二日

札幌玉葱記念碑建立期成会

地図

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東区北13条東16丁目 付近 [ストリートビュー]