電信 発祥の地(松江)

でんしんはっしょうのち

松江駅から北西に1km、松江大橋北詰にポツンと石碑が建っている。この地は、山陰地方の近代的通信網の端緒となった重要な地点である。

明治12年(1879) 5月、松江電信分局が同地に開設されたことが、松江における電信事業の始まりである。当時、明治政府は全国的な電信網の構築を国家政策として進めており、山陰地方においても萩から浜田を経由し、松江へと至る電信線の敷設が進められた。この路線の開通に伴い、電報の受発信を行うための拠点として設置されたのが松江電信分局である。

当初、電信は政府の行政連絡や一部の利用に限られていたが、産業の発展とともにその重要性は増大した。松江電信分局は、情報の伝達速度を飛躍的に高め、従来の飛脚や郵便による通信手段に代わる新たな社会インフラとしての役割を担った。この分局の開設により、松江は国内の主要都市と電信で直結され、情報の即時性が確保されるようになった。

明治22年(1889) 、電信行政の効率化に伴い、松江電信分局は松江郵便局と合併した。これにより、松江の通信業務は郵便と電信が一体となって運用される体制へと移行し、白潟本町へと拠点を移すこととなった。この統合は、近代的な郵政行政の基盤を確立する重要な一歩であった。

現在、松江大橋の北詰付近には、この地が電信発祥の地であることを示す碑が建立されている。

松江における電信の歴史は、明治初期の急激な近代化の一断面を映し出している。松江大橋の北詰という交通の要衝に設置されたことは、この地が地域情報の結節点であったことを物語っている。

写真

  • 電信発祥の地(松江)

碑文

電信発祥の地

ここは明治12年5月15日
当地方にはじめて電信局が
開設されたところである

日本電信電話公社創立30周年を記念してこれを建てる

昭和57年10月23日
島根電気通信部長
高野利信

題字は元島根電気通信部長
宮興四雄書

地図

地図

松江市末次本町 付近 [ストリートビュー]