鹿道と 六軒村 発祥の地

ろっけんむらはっしょうのち

札幌市営地下鉄 福住駅の南100m。「札幌市福住児童会館」の前の歩道に碑が建つ。 1871(明治4)年、月寒つきさむに岩手県から44軒の人々が入植した。月寒に入るにはわずかに「鹿道」と呼ばれた 鹿やけものが通る いわゆる「けもの道」があるだけだった。

土地は 現在の国道36号に沿って 3町3反ずつの農地を 44軒で平等に割り当てられたが, 6軒分が足りなくなり, この碑のある付近を与えられたのが 通称 福住「六軒村」の始まりとされる。その後「月寒西通」と名前が変わり, 1944(昭和19)年に「福住」となった。

撤去されたようです

2010年版のストリートビューでは存在が確認されるが、2016年版では見当たらなくなっている。豊平区のページによると福住一条1丁目から、福住一条2丁目に移動したようにも受け取れるが、「とよひらふるさと再発見プレート」設置の印が付いていないことから、撤去後は再建されていないと思われる。

写真

  • 福住児童会館
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碑文

とよひらふるさと再発見

鹿道と六軒村発祥の地

 北海道開拓の初期, 札幌から千歳への道路は, 鹿道と呼ばれ, 現在の月寒小学校から第一高校を通り, 福住, 農業試験場を抜け, 千歳にいたる狩猟の道だった。明治4年, 岩手県からの移民がその道路沿いに6戸入植し, 六軒村と呼ば れた。

西岡福住地区とよひら“ふるさと再発見”委員会・札幌市豊平区

地図

地図

豊平区福住一条1丁目 付近 [ストリートビュー]