東北海道 電信 創業記念碑
ひがしほっかいどうでんしんそうぎょうきねんひ
根室本線 釧路駅から南南西に約2km。佐野碑園公園内の北寄りに「東北海草電信創業記念碑」と書かれた横長の石碑が建っている。
国内の電信網は、まず明治2年(1869) に東京と横浜とに電信局が設置されて電報の取り扱いが始まったのが最初で、その後西に向かって延伸されて明治6年(1873) には東京-長崎間の電信網が開設された。
北海道への電信網はこれよりやや遅れて明治7年(1874) になって青森-函館間の海底電線が敷設されて、東京-函館-札幌の回線が開通した。
しかし道東(東北海道)への回線の延伸は遅く、明治17年(1884) になって札幌-根室間の電信線が開通。この時、真砂町(現・南大通り7丁目)に“釧路電信分局”の局舎が新設され、一般公衆電信取扱が開始された。この当時の電信は“トン・ツー”(モールス信号)による通信であった。
釧路で電話交換業務が開始されたのは、1909(明治42)年になってからである。
この記念碑がある“佐野碑園”はいくつかの記念碑などが建立されている公園で、公園には次のような説明板が建っている。
佐野碑園
この公園は、釧路を開くにあたり功績のあった四代目佐野孫右衛門(1841年-89年)を顕彰した『佐野氏紀功碑』が立っていることから『佐野碑園』と呼ばれています。
江戸時代末期、このあたりに漁業と交易をすすめる『久寿里会所』があり、明治時代にはこの付近に釧路初の学校の『丸太学校』や『電信分局』も建てられました。また、明治四十一年(1908年)に釧路に滞在した石川啄木がしばしば訪れた料亭『喜望楼』もこの地にありました。
写真
碑文
東北海道
電信創業記念碑日本電信電話公社
釧路電気通信部
明治十七年(1884)五月,札幌から苫小牧・浦河・釧路を経由して根室に至る電信線の架設が,電信柱の献納と局舎敷地の地元提供を義務に政府から許可されました。
工事は同年六月に着手され,十月には全線完成,釧路でもこのあたりに電信分局が開設され,札幌や東京都の間の通信事情は飛躍的によくなりました。
この碑は,わが国の電信創業百年にあたる昭和四十五年(1790)に当時の釧路電気通信部により設立されたものです。