山陰鉄道発祥之地 米子

さんいんてつどうはっしょうのちよなご

 
撮影:
2006年11月(写真 T.H.さん)
2011年3月(写真 T.O.さん)

山陰線 米子駅の駅前広場を背にして 蒸気機関車の動輪と客車の車輪のモニュメントと, その脇に赤茶色の「山陰鉄道発祥之地」碑が建っている。また,米子駅前広場の右手に“だんだん広場”があり,ここに 高架の上を走る列車をかたどったモニュメントなどがある。

山陰地方で最初の鉄道は明治35年(1902) 開通の境線の 境~御来屋間の37kmだった。新橋~横浜間に日本で最初に鉄道が開通してから 30年後のことである。その後 路線の一部は 山陰本線に統合され, 米子駅~境駅(現・境港駅) 間は“境線”として残っている。 「山陰鉄道発祥之地」碑の横には 山陰鉄道の歴史が書かれた 説明板が建っている。

なお, 「山陰鉄道発祥の地」碑は この米子駅前の他に もう一ヶ所, 旧 境駅の駅跡にもある。


駅前広場には平成29年(2017) にコンビニが建設され、発祥碑群はそのままコンビニ裏の吸い殻入れが置かれた薄汚く貧乏くさい場所になってしまった。これが地方都市における鉄道に対する情熱なのだと感じ取れる。

写真

  • 山陰鉄道発祥之地 米子
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  • 山陰鉄道の歩み
  • C57型蒸気機関車説明

碑文

山陰鐵道發祥之地 米子

「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し,試運転を行へり。来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗, 球灯をかかげ, 歓喜の様, 非常なり(後略)」明治35年(1902)11月1日, 境 - 米子 - 御来屋間35kmの開通式の模様を当時の新聞はこのように伝えている。

 山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く, やがて山陰本線, 伯耆線が開通した。鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが, 経済・社会の近代化は大きく促進された。

 米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し, 今日に至っている。

 山陰鉄道建設, 発展に尽くされた先人の功績をたたえると共に, 21世紀におけるさらなる発展を願って, ここに記念碑を建立する

平成9年7月吉日

地図

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米子市弥生町 付近 [ストリートビュー]